南イタリアの光と影 ? フランク・シナトラ・イン・パレルモ - La Repubblica Hirotaliana

 ノルマン王宮近くのバス停で下車した後、そのままヴィットーリオ・エマヌエーレ大通を海岸方向に向かって歩いた。しばらく歩くと、Quattoro Cantiに着いたので、ついでにプレトーリア広場の彫刻・噴水とサン・カタルド教会の3つの赤いドームを見て、引き返した。Quattoro Canti近くのヴィットーリオ・エマヌエーレ大通に面した位置に「グランデ・アルベルゴ・ソーレ」という名のスタンダード・クラス(以前はAクラスだったのかも)のホテルが建つ。パレルモの滞在先を決める際、市街地の地図を見ながら絞り込んだのが「ジョリー・ホテル・パレルモ」とこの「グランデ・アルベルゴ・ソーレ」だった。結局このホテルには泊まらなかったのだが、帰国後僕はちょっと後悔することになる。

 同年3月に『イタリア・マフィア』(シルヴィオ・ピエルサンティ著・朝田今日子訳、ちくま新書)の第1刷が出版された。南イタリアの歴史と文化や「マフィア」に関して極めて高い関心を寄せる僕としては、当然即座に購入して読んだ。その第1章「マフィアの組織構造」の中に、「マフィア大使フランク・シナトラ」と題する数ページ分の文章が掲載されていて、彼は1963年10月に「アルベルゴ・ソーレ」の豪華なスイート・ルームに宿泊していたのだった。読んでいてピンときたのが、『ゴッド・ファーザー Part?』のある挿話。明らかにシナトラだと思われる(実名は用いていない)有名スターが、この時期大スランプに陥っていたため、レコード会社やハリウッドから仕事がまわってこない。そこで、育ての親であるマフィアのボスに悩みを打ち明ける。場面転換によってある豪邸の寝室が写し出される。目を覚ましたのは(シナトラを退けていたに違いない)映画監督。何やら異変に気付き掛け布団をめくると、切断された血まみれの愛馬(だったと思う)の首。監督は「ギャー!」と悲鳴を上げる。実際シナトラは、第2次大戦後喉を痛めたり女性スキャンダ\xA5

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 歌手とマフィアの深い関係については、クリント・イーストウッド監督の『ジャージー・ボーイズ』でも描かれている。1960年代初頭、日本でも大ヒットしたポップス「シェリー」で大ブレイクしたのが「フォー・シーズンズ」だ。シナトラと同じくニューヨークに近いニュージャージー州出身のイタリア移民の子が中心になって結成されたコーラスグループで、無名時代そのバンドリーダーは地元では札付きの不良で強盗などの罪で服役すらしている。そんな悪ガキ連中の才能(特にリードヴォーカルのフランキー・ヴァッリ)を見抜いて彼らの面倒をみたのが、クリストファー・ウォ―ケン演ずる地元のマフィアのボスなのである。

 それにしても、なぜシナトラは自家用ジェット機を飛ばしてまでパレルモに来なければならなかったのだろうか。彼の両親もシチリア移民であったから、ルーツはシチリアにあるのだが。シチリアでは、この時期大ボス、ドン・カロが死に、後継者としてジェンコ・ルッソが大ボスとして有望視されていた。この男、実は17回の裁判は全て証拠不十分で不起訴処分となっているのだからまさにマフィアのエリートだ。シナトラは同胞のシチリア人マフィアから「ジェンコ・ルッソの所へ行け」と命令されたのである。アメリカにいるシチリア・マフィアは、新ボスがどんな男なのか様子を知りたくて、シナトラを送り込んだらしい。ところが、パレルモに到着した途端、「この国では命令は俺が下す。有名人を大使として送っても無駄だ」というメッセージがシナトラの下へ届く。麻薬ビジネスの主導権を握りたいというアメリカ側マフィアの魂胆を見抜いての事なのだろうか。この後、シナトラは散々待たされた挙句、漸くルッソの邸宅に招かれる。その時の生々しい様子は長くなるので一部に留めるが、ボスであるルッソと、オールバックの髪形に、白ワイシャツ、サスペンダーを身にまとい\xA1

▲灰奪櫂號垢鮗个瓩砲ǂ屬蝓⊆蠧類譴旅圓㌃呂い辛Δ鮨④个靴\xBF12人の男たちが居並ぶテーブルの最も末席に座らされ、徹底的な無視と嘲弄、威圧・恫喝にさらされたシナトラは、「生きた心地がしなかった」に違いない。The Voiceとまで呼ばれた名歌手にしてハリウッド・スターも、このシチリア・マフィアの前ではでは何の力もない。ドンが用意した車でアルベルゴ・ソーレまで送ってもらうと、シナトラはボディガードにすぐ帰国の用意をするように命じ、プライベート、ジェット機に向かったのだった。